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「○○を読む」を読む?
ドラッカーの『プロフェッショナルの条件』を、ちょっと丁寧に読んでいます。6月の読書会の課題図書になったんですよ。
なんでしょうね。私の仕事上の経験値が不足しているのか、読書量が不足しているのか、ドラッカーの本は速読にならないんですね。
とりあえず、最初から丁寧に読んでいたらイヤになるんで、1冊を15分ぐらいでばーっと流すような「親和性作り」を最初に数回やりました。
それだけでも、後の丁寧な読書がすごく楽になります。d(^^*
親和性作りの話とは全然違う話題なのですが、こういうヘビーな、それでいて「必読書」的に扱われる書籍には必ずといっていいほど「ドラッカーを読む」とか「ドラッカー入門」とか、そういう解説本が出ていますよね。
今回のテーマは、そういうのを読むのって、どうだろうっていうお話。
確かに「○○を読む」的な本を読むと、難しく感じていた本が、すごく読みやすくなります。目から鱗的な発見もありますし、自分では全然気づかなかった視点が与えられて、これまでとまったく違った読み方ができることもあります。
「その本を理解する」ことが目的なら、これでもいいのかな?という気もしますよね。
でも、他人の視点で理解できたとして、その視点は自分のものになったんだろうかっていうことも気になります。
苦しみながら読み解く。そういう経験が自分の思考力や「ものを見る目」を養ってくれるんじゃないだろうかって。
いやいや、実は「その本を理解する」という目的自体も失敗しているのかも知れない。そんな気もします。
人気小説が映画化されることも多いですが、小説を読んだ後に映画を見ると、だいたい「原作の方がよかった」って思いますよね。
ある意味で、映画って「他人の視点」、「他人のイメージ」で原作の読み方を提案されているんですよ。それは明らかに、自分の持っている世界とずれるわけです。だから「原作の方がいい」と感じる。
それは「原作がいい」んじゃなくて「自分の理解の方が、自分にはしっくりくる」ってことなんじゃないかなって思います。
逆に映画を見た後に原作を読んでも、完全に映画の世界が再現されるだけで、あんまり楽しくありません。映画の再放送を見ているぐらいの感動ですかね。
もちろん、映像では伝わらなかった微妙なニュアンスが文字を通じて理解できることもありますから、それはそれで楽しいんです。
でも、やっぱり原作を自分の世界、自分のフィルターで読むのとは、まったく違います。
おそらくドラッカーを読む時も同じなんです。
ドラッカーの著書の翻訳を手がけている第一人者の方が解説してくれていたとしても、それには手を出すべきではないのかな、と。
きっと、1回その本を読んでしまうと、その人の視点にずっととらわれてしまうでしょう。
稚拙だろうと、浅かろうと、自分の頭でしっかりと読み込む。
その経験こそが、自分の現場で生きる知恵になるし、気づきを生む。そして、現場での経験を経て、再びその本に戻ってきたとき、初めて読んだ時にはまったく気づかなかった発見ができる。
まさに、自分の頭で「体験」した人だけが手に入れられる「学び体験」です。
そういえば、前にご紹介した『ジェイン・オースティンの読書会』も、全国で上映されています。
映画を見るのもいいですが、話題作の‘原作’を読むというのも、また格別の楽しさがありますよ!(^^)!
☆ジェイン・オースティンの読書会
http://office-srr.com/Recommend/JumpTo.php?id=BookClub
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読書・読書会関連コラム posted on 2008年06月03日 : コメント (0) / トラックバック (0)
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