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読書は演劇であり、読書会は劇場である。 by ヤナイチ このエントリーを含むはてなブックマーク

読書に関するコラムを何か書いてね・・・と寺田さんに言われ
 
早速、何を書こうかなと考えました。
 
2008年4月から始まった「博多非凡塾・読書会」に出席して感じたことを軽く書きます。
 

 
僕は個人的に、芝居を見に行くのが好きで、それを取り巻く様々な要素がとても好きなんですね
 
それで、「読書」と「読書会」を取り巻くテイストが
 
その好きな要素に似ていることにハタと気づいたんです。
 
 
読書は極めて「演劇的」で、読書会というものは極めて「劇場的」だな・・・と思います。
 
演劇とは
 
「主として生身の俳優による演技を通し、何らかのストーリーやテーマなどを、
同じ場にいる観客に対しリアルタイムに提示する表現活動を言う。(Wikipedia)』
 
「演劇」というのは、舞台と客席のライブによるコミュニケーションといえますね。
 
本を読むという行為はといえば、「自分が読んでいる瞬間」こそがライブなんです。
 
そして、著者と読者である自分の内面によるコミュニケーション、ともいえますよね。
 
本というテキストを媒介にして、自分の頭の中だけでオリジナルな展開として進行していく
芝居のようなもの。
 
読み手の中に「演者」であり「観客」でもあるという特殊な演劇的要素が絡まりあって
溢れ出すのが「読書」のひとつの特徴ではないでしょうか。
 
そこには、瞬間を取り巻く要素も関係します、例えばその人の体調だったり気分だったり、
社会的環境だったり。
 
だから、読書体験は、ひとつとして同じものであることがなく、常に唯一無二の
内的な表現活動でもあるんです。
 

 
読むことがひとつの内的作業として成立している「演劇的要素」だとすれば、
 
それを「劇場」へ持ち出す外的作業に変換するのが「読書会」ではないでしょうか。
 
 
劇場というのは、言うまでもなく、演劇・映画などを上演・観覧するための建物や空間を指します。
 
しかし、例えば「ロックンロール」は音楽の種類というだけではなく、そのスピリッツのことを指すように
ここでは「劇場」を、「普段着の日常に潜む劇的出会いの“場”」と定義してみます。
 
 
寺山修司氏はこんな言葉を語っておりました。
 
「劇場とは、施設や建物のことではなく、劇的出会いが生成されるための
「場」のイデオロギーのことである。
どんな場所でも劇場になることができるしどんな劇場でも劇が生成されない限りは
日常的な風景の一部に過ぎなくなる」
 
読書会は、それぞれの参加者の持つ内的な演劇的なものが、放出され
出会いをもたらす場として成立し
 
それは再現不能な、一度きりのライブのような新鮮さを持つ、劇的出会いの場なのかもしれませんね。
 
 
「読むというひとつのほの暗い行為を、日常に潜んでいた劇的出会いにまで昇華させる」のが
読書会の醍醐味だと感じています。
 
 
そうです。「モノローグからダイアローグへ」
 
これが我々がやっている「読書会」のテーマなのですもの。
 
読書という、お手軽で奥の深い行為への探求は、尽きることがないと思いませんか?
 
《Y談》
 

読書・読書会関連コラム  posted on 2009年01月13日 : コメント (0) / トラックバック (0)

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