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【言葉】読書の価値は… by てら このエントリーを含むはてなブックマーク

小泉信三著 『読書論』より
 
「読書が読書だけに終わるなら、そこに何らの発展は起こらない。」

 
 慶應義塾大学の塾長をおつとめになった政治学者小泉氏の言葉です。
 
 このメッセージに続く一説を、さらにご紹介しますと・・・
 

 最もよき読書の態度は、心を虚しゅうして著者の言うところを聴くというところにあるであろう。しかし、著者の言うところを受動的に受け容れるというに止まるなら、AはA、十のものは十たるに終わって、それ以上に出ることはない。ひとりの著者の働きかけに対する反応として、能動的なる思索の起こるを俟(ま)って、始めて読書は読者自身のものである、新しい実を結ぶ。

 
 ショウペンハウエルも、読書を他人の頭を借りることと表現しました。小泉氏は、そのショウペンハウエルの著を引用しつつ、だからといって読書を軽んじず「読み、且つ、考える」ことを大事にしなさいと諭します。
 
 「虚心なる読書の受動」と「主我的なる思考の能動」とを併せ持て、というわけです。
 
 
 
 まぁ、そもそも1冊の本から学ぶことすら難しいわけです。
 
 ひょっとすると、著者が書きたかった世界観の1割も、私たちは受け止めることができていないのかも知れない。
 
 なのに、しったかぶってウケウリで語ってみたり、熟考もせずに反論してみたり、そんな軽率な態度で本に向かっていないか?
 
 そういう反省の念に駆られます。
 
 とはいえ、読書の主体は、あくまで私。読者。
 
 であれば、もっとプラグマティックに「自分のフォーカスで読んでいいじゃん」と開きなってもいいのではないかと思うわけです。
 
 
 
 ただ、主体的にフォーカスを設定して、わがままに読むからこそ、読んで満足せず、そこを起点として行動につなげ、思索にふけるようにしたいところです。
●●

読書・読書会関連コラム  posted on 2009年07月16日 : コメント (0) / トラックバック (0)

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